年金は円建てで支払われる。円安で輸入品の値段が上がっても、年金額が同じだけ増えるわけではない。この差が、そのまま生活費の不足になる。
2026年度は、物価が3.2%上がったのに対し、年金の改定は1.9%だった。1.3ポイントの差が生じている。2026年7月時点で1ドル=164円近辺。ここからさらに円安が進む前提で、年金と家計に何が起きるかを順に見ていく。
年金額は物価上昇に完全には追いつかない
先に全体像を示す。公的年金には物価に応じて増える仕組みがあるが、その増え方は物価の上昇より必ず小さくなる。制度がそう作られている。
差がつく箇所は3つある。反映が1年遅れること、物価より賃金の伸びが低い場合は賃金に合わせられること、そして「調整」によって上げ幅がさらに削られること。この3つが重なり、年金の実質的な価値は毎年少しずつ下がっていく。
順に見ていく。
1. 改定は1年遅れて反映される
年金額の改定に使われるのは前年の指標である。改定率は毎年1月に厚生労働省から公表され、4月分の年金から反映される。振込ベースでは6月からだ。
つまり物価が上がった年は、上がった価格を据え置きの年金で支払うことになる。
2. 物価が賃金を上回ると、低いほうに合わせられる
ここが円安局面で最も重要になる。
改定の基準は年齢で分かれている。原則として、新しく受け取り始める世代(67歳以下)は賃金変動率、すでに受け取っている世代(68歳以上)は物価変動率が基準になる。
ただし例外がある。物価の上昇が賃金の伸びを上回る場合は、すでに受給している人も含めて、低いほうである賃金変動率が採用される。年金を支える現役世代の負担を考慮した仕組みだ。
円安による物価上昇は、輸入価格の上昇が起点である。国内の賃上げによって生じた物価上昇ではない。したがって賃金が追いつかないまま物価だけが上がる形になりやすく、この例外が適用される条件が揃いやすい。
円安由来のインフレは、年金受給者にとってもっとも不利な形のインフレだと言える。
3. 「調整」は事実上の減額である
年金の説明では「マクロ経済スライドによる調整」という言葉が頻繁に出てくる。中立的な表現に見えるが、実質的にはほぼ減額を意味する。
仕組みは単純だ。物価が2%上がったとき、年金を2%上げれば購買力は保たれる。しかし1.8%しか上げなければ、差の0.2%分だけ買えるものが減る。この差し引きが「調整」である。
受け取る金額そのものは減らない。通知書には増額として届く。だから減額と認識されにくい。しかし物価と比べた実質的な価値は確実に下がっている。名目額を維持したまま実質の給付を削る仕組み、と理解しておくのが正確だ。
なぜこれを行うのか。年金を支える現役世代が減り続ける一方、受給期間は平均余命の伸びによって長くなっている。入る保険料が減り、出る給付が増える。将来世代の年金を確保するには、今の給付水準を抑えるしかない。
そのため調整率は、次の2つから計算される。
- 公的年金の被保険者数の変動率。支え手が減れば、その分マイナスに働く
- 平均余命の伸びを勘案した率。受給期間が延びれば、その分マイナスに働く
そして、この調整は一度で終わらない。年金財政の均衡が見込めるようになるまで毎年続く。物価が上がる局面が続く限り、年金の実質価値は毎年削られていく。
なお、この調整と並行して制度自体の見直しも進んでいる。第3号被保険者の縮小と106万円の壁の撤廃については106万円の壁はなぜ撤廃されるのか|最低賃金と第3号被保険者から読む2026年10月改正で扱っている。
2026年度に実際に起きたこと
以上は仕組みの話だが、2026年度の改定はそのまま実例になっている。
2026年度は前年の物価変動率が3.2%、名目手取り賃金変動率が2.1%だった。物価が賃金を上回ったため、低いほうである名目手取り賃金変動率2.1%が基準として採用された。前項の例外が適用された形である。
ここで名目手取り賃金変動率の中身を見ておきたい。この2.1%は、物価変動率3.2%に、2022年度から2024年度の実質賃金変動率▲1.1%と可処分所得変化率0.0%を加えて算出されている。実質賃金がマイナスだったことが、そのまま基準の低さになっている。
そこから調整が行われる。2026年度の調整率は、被保険者数変動率+0.1%と平均余命の伸びを勘案した率▲0.3%から、▲0.2%となった。
| 基準となる変動率 | 調整率 | 改定率 | |
|---|---|---|---|
| 国民年金(基礎年金) | 2.1% | ▲0.2% | 1.9% |
| 厚生年金(報酬比例部分) | 2.1% | ▲0.1% | 2.0% |
出典:厚生労働省「令和8年度の年金額改定について」(令和8年1月23日公表)
厚生年金の調整率が小さいのは、2025年の年金制度改正によるものだ。2030年度までの間、報酬比例部分のマクロ経済スライドによる調整は3分の1に緩和される。受給者に不利になり過ぎないよう配慮された措置である。
結果として、2026年度の改定率は国民年金1.9%、厚生年金2.0%となった。4年連続のプラス改定である。
ただし物価は3.2%上がっている。増額改定という見出しの裏側で、物価と年金には1.3ポイントの差がついている。
金額にするとどうなるか
2026年度の実数で計算する。基礎年金部分について、物価上昇率3.2%と改定率1.9%の差は1.3ポイントである。
- 年金が月15万円の場合、目減りは月あたり約1,950円。年間で約23,400円
- 年金が月20万円の場合、目減りは月あたり約2,600円。年間で約31,200円
- 厚生年金の報酬比例部分は改定率2.0%のため、差は1.2ポイントとやや小さい
これは2026年度の1年分にすぎない。受給期間は20年以上に及び、同じ構造が毎年繰り返される。
そして円安がさらに進めば、輸入価格を通じて物価上昇率が高まる。一方で賃金が追いつかなければ、基準は低いまま据え置かれる。差は開く方向に働く。
この目減りを補う仕組みは制度の中に存在しない。輸入価格の上昇分を年金制度が補填することはない。老後の生活設計では、この不足を自分の資産側で埋める前提を置く必要がある。
資産側でどう埋めるかについては、受給開始時期と運用を組み合わせた検討を別記事で扱っている。あわせて「年金の繰上げ受給×投資は損」は本当かを参照されたい。
現役のうちに測っておくべき数字
では何をどれだけ用意すればよいのか。ここで必要になるのが、自分が円安でいくら損をするのかという実額である。
円安の影響が最初に出るのは資産ではなく支出だ。エネルギー、食料、海外サービスの価格が上がる。家計の輸入依存度が、そのまま円安リスクの大きさになる。
月間支出を費目に分け、それぞれの外貨連動度を掛けて合計する。連動度は品目や時期によって異なるため、以下の数値は筆者による試算上の目安である。
| 費目 | 月額 | 外貨連動度(目安) | 連動額 |
|---|---|---|---|
| 食料費 | 60,000円 | 約3割 | 18,000円 |
| 光熱費 | 15,000円 | 約7割 | 10,500円 |
| ガソリン | 8,000円 | 約9割 | 7,200円 |
| 海外サブスク | 5,000円 | 10割 | 5,000円 |
| 家賃・通信等 | 162,000円 | ほぼ0 | 0円 |
| 合計 | 250,000円 | — | 40,700円 |
この例では、月25万円の支出のうち約4万円が為替に連動する。全体の約16%だ。
円安が10%進行した場合、増える負担は40,700円×10%=約4,000円/月。年間で約4.9万円になる。
これが備えるべきリスクの実額である。外貨建て資産を持つ意味は、この金額を為替差益で相殺することにある。逆に言えば、この数字を出さずに外貨を買うのは、必要量を測らずにヘッジしていることになる。
今回の円安は金利差だけでは説明できない
円安の主因は日米の金利差だと説明されることが多い。日本の金利が低く米国が高いから円が売られる、という理解だ。
しかし現在は、その説明だけでは足りない。
日銀は2026年6月の金融政策決定会合で追加利上げを決め、政策金利は1.0%となった。一方の米国は、2025年9月以降に3会合連続で計0.75%の引き下げを行った後、据え置きに転じている。FF金利の誘導目標は3.50〜3.75%で、足元では原油価格の上昇を受けて利上げ観測すら出ている状況だ。
日米の政策金利差は2.5%前後まで縮小している。かつての5%超という水準からは大幅に狭まった。それにもかかわらず、円安は進んでいる。
金利以外の要因として指摘されるのは、次のようなものだ。
- 企業が海外で得た収益が現地で再投資され、円に戻ってこない。所得収支は黒字でも、その資金が円買いに向かわない
- 海外のクラウドサービスや広告への支払いによる、いわゆるデジタル赤字。サービス収支の恒常的な支払超過となっている
- 家計自身が円資産から外貨建て資産へ資金を移している
なお貿易収支については、2026年上半期の赤字が原油輸入の減少により約1兆円へ半減している。貿易赤字が円安の主因という説明は、現時点では当てはまらない。
上記の要因は、いずれも短期では反転しない。金利差が縮まれば円高に戻るので待てばよい、という姿勢が今回は機能しない可能性がある。
「為替ヘッジ付き」は円安対策の逆になる
投資信託には為替ヘッジありとヘッジなしがある。円安が心配だからヘッジ付きを選ぶ、という判断を見かけるが、これは方向が逆である。
為替ヘッジは将来の為替レートをあらかじめ固定する仕組みで、そのコストは内外の金利差でほぼ決まる。日本より米国の金利が高い局面では、コストが高くつく。
そしてヘッジ付き商品が守るのは円高である。円安が進んでも為替差益は得られない。コストを払って円高保険を買っている状態だ。
円安を警戒する立場であれば、ヘッジなしのほうが整合する。ただしこれは、円高に転じたときに目減りするという意味でもある。
それでも全額を外貨にすべきでない理由
ここまでは外貨資産を増やす方向の話に見えるが、逆側の論拠も相応に強い。
物価水準の差を調整した実質実効為替レートで見ると、円は歴史的な低水準にある。購買力平価からの乖離も大きい。長期的には水準が戻るという見方には根拠がある。実際の推移は日本銀行の実効為替レートで確認できる。
どちらが正しいかは事前には分からない。したがって結論は、先に計算した必要量に留めること、そして購入時期を分散させることになる。
避けたい3つの行動
1. 高値圏での一括円転
備えという形をとりながら、実質的には高値追いになる。分散が原則になる。
2. レバレッジ取引をヘッジと呼ぶこと
証拠金取引は損失が投入額を超えることがある。リスクを減らす行為ではない。
3. 外貨建て保険を為替対策の手段にすること
為替リスクに保険のコストが上乗せされ、実質的な負担が把握しにくい。目的と手段が噛み合わない。
まとめ
- 2026年度は物価が3.2%上がり、年金の改定率は国民年金1.9%、厚生年金2.0%だった。増額改定だが物価には1.3ポイント届いていない
- 年金の改定は前年の指標に基づき、1年遅れて反映される
- 物価が賃金を上回る場合は低いほうの賃金変動率が採用される。円安由来のインフレはこの条件が揃いやすい
- 制度上の「調整」は、名目額を維持しながら実質価値を削る仕組みである
- 物価上昇と年金改定の差を補う仕組みは制度内に存在せず、資産側で埋める前提が必要になる
- 備えるべき金額は、支出の外貨連動額から計算できる
- 日米金利差は2.5%前後まで縮小したが円安は進行しており、金利差の縮小による円高回帰は前提にしにくい
- 為替ヘッジ付き商品が守るのは円高であり、円安対策にはならない
- 実質実効為替レートでは円は低水準にあり、一方向に賭ける形は避ける
本記事は2026年7月時点の情報に基づく、制度と計算方法に関する一般的な情報提供であり、特定の金融商品の推奨や個別の投資助言ではありません。